| メルボルン | ||||||
【5】メルボルン・インターナショナル・フラワー&ガーデンショウ見学 | ||||||
いよいよ今回の訪問のメインとなる「メルボルン・インターナショナル・フラワー&ガーデンショウ」の開催日。早速朝一番に訪れました。このショウは今年で7回目の開催です。私達も朝一番に訪れたにもかかわらず、既に多くの来場者が会場内にいて、メルボルン市民をはじめとしてオーストラリア各地から人々が訪れていました。メルボルンは「ガーデンシティ」と呼ばれて、街中も多くの公園や緑に恵まれており、郊外に出れば豊かな自然に囲まれています。 | ||||||
| ||||||
| 会場はオーストラリア最初の国会議事堂だったロイヤル・エキシビションビルディングとその前に広がるカールトンガーデンです。 屋外と屋内の会場に大きく分かれ、屋外ではナーセリーやガーデングッズ関連のブースがあり、加えていくつものショーガーデンがありました。気候に恵まれたお国柄、熱帯性・亜熱帯性の樹木や花々がふんだんに使われ、華やかさを一層引き立てています。中でも特徴的なのが「水」を使うガーデンオーナメント。 アーティストが作成する芸術的な作品も多かった。 それらを一般の見学者と思われる主婦層の方が、気軽に製作者に話を聞き、盛り上っている様子を見ると、ガーデンビジネスを取巻くその豊かな文化度を羨ましく思えました。 特に印象に残ったのは、「水」、「ヴィヴィッドな色使い」、「禅的なモノトーンの世界」「ラピスラズリのブルー」。 | ||||||
そして感心したのは、ショーとして来場者を飽きさせないような演出。子供連れの見学者も多いということで、パークの一角ではピーターラビットをモチーフにしたキッズ・ガーデンがあり、多くの子供たちで賑わっていました。そこで子供たちは劇を観たり、にんじんの小さな芽を、プランターに植えて持ち帰ることができるのだが、目を奪われたのが「裸足で歩く通路」。小石、貝が転がる砂場、ビー玉、カラフルなゴム等、何種類かの素材を敷き詰めた通路を、子供たちが自分の好きなように歩いている。素足に伝わる感触が楽しいのか、どの子供たちも大騒ぎです。子供達を始めとして訪れた人々の楽しそうな笑顔が、この一大イベントの成功を語っていました。 | ||||||
| 屋内のエキシビションホール内では、主にフラワーアレンジのアーティスト達の作品展示がされています。 盆栽のアーティストが作品を展示していて、来場者はそのブースをかなり熱心に取り囲んで見つめていました。 最後に廻ったエリアは、おもにショーガーデンの展示です。巨大なスペースでバリのコテージを思わせるショーガーデンは圧巻。余計な装飾を一切省いたようなモダンデザインのスペースも目を引きました。これらのショーガーデンは色々なメーカー等ともタイアップして、予算も相当かけて参加していると思いますが、中には若いデザイナーが小さなスペースで、居心地のよさそうなスモールガーデンの提案をしていました。 今は未だ「ビック・ネーム」ではないけれど、このような若い世代も出展できる発表の機会を与えて「次世代」を育てようとする環境こそが、この国のガーデン業界を成熟させているだと感じさせてくれました。 | ||||||
| ||||||
| 【5】CLOUD HILL(クラウドヒル) GARDENへ | ||||||
メルボルン中心地から車で1時間も離れない程の距離に、マウントダンデノン地区があります。日本に例えれば軽井沢といった風情の、爽やかな山間にクラウドヒルガーデンという素晴らしい庭があります。敷地の前面にはナーセリーショップがあり、その脇を抜けてガーデン内に足を踏み入れるとまさに「王道」といった趣のイングリッシュ・ガーデンの世界が広がっています。私達が訪れたのはもう秋の初め頃、植物もその最高の時期をすでに過ぎようとしていたが、それでも未だその美しさを失ってはいないボーダーガーデンを始め、山の斜面を利用し、いくつかのエリアごとにその表情を変えていく様は、人の心を捉えて放さないような魅力があります。 幸いと言うべきなのか、私達の他に来園者はおらず、ゆったりとした時間と空間を楽しみましたが、感心したのはいくつもの印象的な景色の中でも「遊び心」は存分に発揮されて「骸骨のトピアリー」や「魔女の森」のモニュメント、恐竜の卵など、例えば子供達が訪れても「理屈抜きで楽しむ」事ができるユーモアがありました。 | ||||||
| ||||||
| その中で、私が心を動かされたのは、叙情的とでもいおうか、その静謐な時の流れる詩的空間に作庭者の「庭への情熱」が感じられることにありました。 詩からインスパイァされているのか詩の一部を載せたレリーフがふとした歩道脇にあったり、「シーズン」というタイトルの彫刻(これは女性像で人生の時の流れを4つの季節になぞらえて表現したもの)が、陽光の日差しの道中におかれていたりと、思想・思索の場としての庭とアートとの良い関係がそこにはあります。 日本の個人の庭ではまだまだ上手なアートとの付き合いができていないように思うが、自分の気に入ったものを何か一つでも置けばそこはその人にとっての特別な庭になるのでしょう。 | ||||||
|